先日の『やりたいことが見つかる 世界の果てのカフェ』の書評で、「あなたは満たされているか?」という問いに対して、僕は「満たされていない気がする」と書きました(→内部リンク:記事20『世界の果てのカフェ』書評)。
そして、その理由を書き始めると完全に別の記事になりそうだったので、「また別の機会に」と逃げました笑。
今回は、その続きを書いてみようと思います。
先に断っておくと、今の職場への不満を書きたいわけではありません。
特定の誰かが悪い、という話でもありません。
もう少し大きく、都市部のクリニックで働くということ。そして、その環境と僕が大事にしたい医療が、どうも少し噛み合っていない気がする、という話です。
同じブロックに、内視鏡クリニックが3軒あります
今働いているエリアには、歩いて行ける範囲に似た診療を掲げるクリニックがいくつもあります。
同じブロック内に、内視鏡を掲げるクリニックが3軒。
少し歩けば、また別のクリニックがある。
駅を一つ移動すれば、さらに選択肢が増える。
都市部で働くようになって、これはかなり特徴的だと感じるようになりました。
面白いことに、都道府県ごとの「人口10万人あたりの一般診療所数」を見ると、単純に都会ほど多いわけではありません。
僕が感じている違いは、人口あたりの数ではなく、たぶん「距離」なんだと思います。
患者さんからすると、「ここが合わなかったら次へ」という選択が物理的にしやすい。
これは当然、悪いことではありません。
むしろ患者さんにとっては、大きなメリットです。
選べることは、間違いなくいいことです
医師と患者さんには、どうしても知識の差があります。
僕自身、以前の記事で医師と患者さんの「情報の非対称性」について書きました(→内部リンク:記事4「内視鏡専門医の1日、リアルに書いてみます。」)。
だからこそ、患者さんが自分でも調べたり、「この先生の説明で本当に大丈夫かな」と考えたりすること自体は、かなり合理的だと思っています。
医療者なら誰でも同じレベルの医療を提供できるわけでもありません。
相性だってあります。
説明の仕方が合わないこともあります。
それなら別の医療機関を選べる方がいい。
地方や離島など、地域によっては医療機関を変更しようとしても、そもそも次の選択肢が簡単には見つからないことがあります。
その意味では、都市部で医療機関を選べることは、とても大きな自由だと思います。
ただ。
選択肢がたくさんあるからこそ生まれる難しさもあります。
「希望に合う医療」を探すこともできる
自分の希望に合う答えを求めて、いくつもの医療機関を受診する状態を「ドクターショッピング」と呼ぶことがあります。
もちろん、医療者側に問題があって別の病院を探すケースもあります。
セカンドオピニオンが必要なこともあります。
一方で、
「この検査をしてほしい」
「この薬を出してほしい」
という希望と、医学的に必要だと考える医療が一致しないこともあります。
ここが難しいところです。
保険診療には当然ルールがあって、病名をつければ何でも保険でできるわけではありません。診療報酬の請求には審査もあります。
ただ実際の診療では、症状や所見をどのように評価するか、どこまで検査するかにはある程度の幅があります。
そのため、同じような希望に対して、
「今回は必要ないと思います」
という医療機関もあれば、
「ではやりましょう」
という医療機関も現実には出てきます。
患者さんの状態が違うなら当然です。
問題は、それだけでは説明できない差も起こり得ることです。
医療にも「選ばれる」という側面がある
医療を単純にサービス業と呼ぶのは、僕は少し違うと思っています。
医学的な妥当性や安全性がある以上、レストランやホテルと同じように「お客さんの希望を全部叶えればいい」というものではないからです。
ただ、クリニックには間違いなく「選ばれる」という側面があります。
患者さんに来てもらわなければ、経営は成り立ちません。
そして都市部には比較対象がたくさんあります。
「あそこでは薬を出してくれた」
「あそこでは検査してくれた」
「こっちではしてくれなかった」
という比較も起こります。
クリニック側からすると、患者さんの希望に応えた方が満足してもらいやすい、というインセンティブが生まれるのは自然なことです。
さらに保険診療は公定価格なので、自分たちで自由に値段をつけることもできません。
だから経営の合理性を考えること自体は、まったく悪いことではないと思っています。
以前、自分の収入が保険制度に依存しているというリスクについて書きましたが(→内部リンク:記事7「医師だから安泰、とは限らない。」)、同じ構造は医療機関の側にも働いています。
僕が引っかかっているのは、そこではありません。
医学的な「妥当性」と、患者さんの「期待への応答」がぶつかったとき、後者に傾く力が構造として存在していることです。
そして正直に言えば、その方がいろいろな意味で楽なこともあります。
ここに、僕はずっと小さな違和感を持っています。
抗生剤は、その分かりやすい例です
たとえば抗生剤です。
一般的な風邪など、ウイルスによる感染症には抗生剤は効きません。
必要のない抗生剤を使えば、副作用だけでなく耐性菌の問題にもつながります。
だから、必要がなければ出さない。
言葉にすると簡単です。
ただ、実際の診療はそんなに綺麗ではありません。
最初に診た時点では抗生剤が必要ないように見えても、その後に細菌感染症がはっきりしてくることはあります。
そうすると患者さんから見れば、
「最初の病院では必要な薬を出してくれなかった」
となります。
逆もあります。
抗生剤を飲んだあとに症状が改善しても、実際には薬が効いたのではなく、普通の経過で自然に良くなっただけかもしれません。
でも患者さんの記憶には、
「あの抗生剤を飲んだら治った」
と残ることがあります。
そして次に風邪を引いたとき、
「前に効いた薬をください」
となる。
もちろん、本当に必要なケースもあります。
だから線引きは簡単ではありません。
その瞬間に一番いいと思った判断が、後から見れば違ったということもあります。
僕だって間違える可能性があります。
それでも、「念のため全員にやっておく」という医療は違うと思っています。
ただ、それが「ちゃんと診てもらえなかった」と受け取られることもある。
このあたりは、クリニックだけではなく、医師と患者さんの関係そのものが持っている難しさなんだと思います。
誰のお金で、その医療をしているのか
もう一つ、僕がどうしても考えてしまうことがあります。
医療費です。
厚生労働省によると、2023年度の国民医療費は約48兆円でした。
その財源は患者さん本人の窓口負担だけではなく、約半分が保険料、4割弱が公費で支えられています。
つまり保険診療は、社会全体でお金を出し合って成り立っています。
だから僕は、自分が一つ検査を追加するとき、一つ薬を処方するとき、
「これは本当に必要なのか」
という問いを持っていたいと思っています。
たとえば日常診療では、「安心のためにもう少し検査をしてほしい」「念のため詳しく調べてほしい」と希望されることがあります。
もちろん、それぞれに理由がありますし、実際に必要な場合もあります。
ただ、患者さんの希望と医学的な必要性が一致しないこともあります。
もちろん、検査を減らせばいいとか、薬を出さなければいいという話ではありません。
必要な医療には、きちんとお金を使うべきです。
一方で、必要性の乏しい検査や治療は、お金だけの問題でもありません。
採血なら針を刺されます。
内視鏡なら前処置や検査そのものの負担があります。
薬なら副作用もあります。
「やっておいた方が安心だから」と追加した医療が、本当に患者さんのためなのか。
これは、ときどき自分でも分からなくなります。
制度が悪い、患者さんが悪い、経営が悪い、と外側に原因を置けば楽なのかもしれません。
でも僕自身も、その制度の中で診療しています。
だから、自分の診療だけは別だとは思いたくない。
自分がしている医療は、本当に社会にとって妥当なのか。
少し大げさかもしれませんが、以前はかなり真剣に悩んでいました。
大きな病院では、また違いました
以前、大きな病院で働いていた頃を思い返すと、医師と患者さんの関係はかなり違いました。
重症の方が多く、専門的な治療も多い。
患者さん側からすると、医療者に任せざるを得ない場面がたくさんありました。
救急外来で、
「今すぐ入院して治療を始めた方がいいです」
という状況なら、
「一度家に帰って比較検討してきます」
とは、なかなかなりません。
もちろん説明はちゃんとしていましたが笑、構造としては医療者側の力がかなり強かったと思います。
これはこれで問題をはらんでいます。
患者さんが十分に意見を言えない可能性もあるからです。
一方、クリニックではそういう場面はかなり少なくなります。
患者さんが自分の希望を伝えたり、納得できなければ他の医療機関へ行ったりする余地があります。
これは本来、いいことです。
ただ、その「余地」が大きくなるほど、医療者と患者さんの信頼がより重要になるのだとも感じています。
僕が欲しいのは、たぶん「信頼の蓄積」なんだと思います
ここまで考えてきて、自分が何に引っかかっているのか、少し分かってきました。
僕はたぶん、患者さんとの間に信頼が積み上がっていく感覚が好きなんだと思います。
「今回は抗生剤はいりません」
と言ったときに、
「先生がそう言うなら、様子を見ます」
と思ってもらえる。
もちろん盲目的に信じてほしいわけではありません。
医師だって間違えます。
でも、お互いにある程度の信頼がある中で相談して決めていく。
僕にとっては、そういう関係が理想なんだと思います。
ところが都市部のクリニックでは、一度きりの診察で終わることも珍しくありません。
初診の患者さんも多く、軽い急性疾患なら治れば次に会うのは数年後かもしれません。
信頼を積み上げる前に関係が終わることも多い。
そうすると医師と患者さんの関係は、どうしても少しビジネスライクになります。
診てもらう。
希望を伝える。
サービスを受ける。
合わなければ別へ行く。
それ自体が悪いとは思いません。
ただ、僕が医療の中で感じたいものとは、少し違うのかもしれない。
言葉にするなら、「共同体感覚」でしょうか。
医療を通じて誰かとつながっている感覚。
自分が役に立っていると感じられること。
今の僕は、それが以前より少し薄くなっているのだと思います。
そして、
「都市型クリニックという働き方と、自分が大事にしたい医療は、少し相性が良くないのかもしれない」
というところまで、ようやく言葉にできるようになりました。
もちろん、環境だけのせいでもありません
ここまで書くと、全部「都市型クリニックの構造が悪い」という話に見えてしまうかもしれません。
たぶん、それも違います。
僕自身の問題もあります。
ひとつは、今の仕事では健診や予防医療に関わる機会も増えたことです。
予防が大切なのはよく分かっています。
病気になってから治すより、病気になる前に防げる方がいい。
頭では完全に理解しています。
ただ、急性期の病院で働いていた頃のような、
「目の前の人が悪くなっている」
「治療したら良くなった」
という分かりやすさは少なくなります。
僕自身のモチベーションという意味では、この違いは思っていた以上に大きかったようです。
もう一つは、自分の余力です。
子どもが生まれてから、使える時間も体力も減りました(→内部リンク:記事17「『自分の時間』に、なぜこんなに罪悪感を覚えるのか」)。
以前なら気にならなかったことに引っかかったり、考え続けてしまったりすることも増えた気がします。
同じ環境でも、数年前の僕なら違う受け止め方をしていたかもしれません。
なので、全部を環境のせいにするのも違うと思っています。
それで、どうするのか
では、これからどうするのか。
まだ答えはありません。
医療制度そのものは、僕一人でどうにかできるものではありません。
診療報酬がどうなるかも、日本の医療制度が今後どう変わるかも、僕の「影響の輪」の外です(→内部リンク:記事19「子どもが生まれて3ヶ月、FIRE計画を『定期点検』してみた」)。
そこを毎日考えて疲れるのは、一旦やめました。
これは諦めたというより、自分が考える範囲を少し狭くした、という感じです。
そのうえで、自分にできることは何か。
今のところは、
自分がその時点で正しいと思う医療を、真摯に続けること。
結局これしかないのだと思います。
患者さんの期待に合わず、別の医療機関を選ばれることもあるかもしれません。
僕の判断が後から間違っていたと分かることもあるかもしれません。
それでも、その時点で医学的に妥当だと思うことを説明して、患者さんと相談して決める。
そこは手放したくありません。
そしてもう一つ。
もし、自分が大切にしたい医療を続けにくい環境なのであれば、もっと自分のスタンスを取りやすい場所へ移る。
それも一つの選択肢なのだと思っています。
これは今の職場を責めたい話ではありません。
同じ環境で楽しく働ける人もいるでしょうし、僕自身の考え方や性格の問題もあります。
ただ、
「自分は何を大事にして医療をしたいのか」
を考えないまま働き続けることは、僕には少し難しいようです。
『世界の果てのカフェ』を読んだとき、僕は「満たされていない気がする」と書きました。
今振り返ると、仕事に関して言えば、その理由の一つはここだったのだと思います。
誰のための、何のための医療なのか。
ずいぶん大きな問いです笑。
たぶん、簡単な答えはありません。
でも、この問いを持ち続けていること自体が、今の僕にとっては大事なのかもしれません。
まだ答えは出ていませんが、今日のところはここまでにしておきます。
それではまた。
